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Marshallsに日本語があるかぎり


2012~14青年海外協力隊員としてMarshall Islandsで日本語を教えていました。マーシャルのあれこれ、日本語教育事情などいろいろ綴っています。
by jpt-in-Marshall
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『隣のアボリジニ』

「さっきね、アボリジニの人とすれ違ったんだけど、なんだか怖くって」
何年か前に、オーストラリアのウルルに滞在していた時、ドミトリーで一緒になったイギリス人の女の子が私にそう言ったのだった。
「迫力はあるけど、なんにも怖いことはないよ」
私がそう言っても、「わかってるんだけど、やっぱりね」と彼女の中の恐怖心は変わらなかった。

友達に借りた『隣のアボリジニ』を読んで、ふと昔の出来事を思い出した。私の中でオーストラリアそしてアボリジニはちょっとした思い入れがある。東京でみたアボリジニのエミリー・カーメ・ウングワレーの絵画にすっかり魅せられてしまった私は、即座にアボリジナルアート探訪の旅を決めた。そんなわけで、ひとまずはウルルへとびだったのである。

そしていま、なんだかアボリジニとは無関係のマーシャルに来ているけれど、それがあながち「無関係」でもなさそうだというのが、この本を読んでいて思ったことだ。

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

上橋 菜穂子 / 筑摩書房


『隣のアボリジニ』では、私たちが思い浮かべる≪アボリジニ≫が描かれてはいない。ディジュリドゥをふく人は出てこないし、ブッシュの中でほぼ裸の状態で狩りをして生活しているわけではない。あくまで途中からやってきて我が物顔で居座り始めたヨーロッパ人の子孫である「オージー」の隣人としての≪アボリジニ、またはその血を引く人たち≫が描かれている。アボリジニの本は何冊か読んだことがあったけれど、都市に住み、オージーたちと似たような生活をしている(似て非なる)アボリジニが描かれていて、とても新鮮だった。

現在オーストラリアで言われている「アボリジニ」のステレオタイプは主に2種類ある。
一つは自然の中で原始的な伝統を守る「原住民」としてのアボリジニ、そしてもう一つは都市ぶで働きもせず、生活保護のお金でお酒を買い求めてはぐでんぐでんになって、暴れる「ろくでなしの酔っ払い」としてのアボリジニ。前者が観光の呼び物として使われていて、後者はアボリジニへの差別につながっている。
「過去のオーストラリア人(ヨーロッパ人)は本当にひどいことをしたと思う。でも、もうそれは自分たちが生まれるはるか前の話だ。なんでやつらの酒代のために高い税金を払い続けなければならないんだ!?」
これが現代オージーたちの本音のようだ。

加えて、いわゆる「白人」オージーだけではなく、都市に住むアボリジニの間からもこんな声もあるようだ。
「アボリジニと白人との間に隔離政策があったあのころのほうがよかった」
かつてこの二つの民族の間には、厳しい隔離政策があり、アボリジニはホテルや喫茶店に入ることが許されず、また夜間も6時以降は自宅に戻らなければならなかったという。
その頃のほうが今みたいにアボリジニの不良の若者がたむろったり、酔っ払って暴れたりすることはなかった。生活保護もなかったから、あのころのほうがアボリジニはよく働いた。
もちろんこれは白人側の一方的な「押しつけ」による平和です。この状態に戻せばいいだなんて、何ともアナログな話である。しかし、このような状態であれば真面目に生活しているアボリジニにとって、いつまでも「こいつらのせいで、おれたちまで悪く言われるぜ」という言い分もあるのも事実。
「アボリジニもいい加減被害者意識を持つのをやめて、自分たちと同じやり方で勝負すればいい」つまり、欧米的な競争主義、資本主義の中に飛び込んで来ればいい、という考えもあるよう。
ただ、忘れてはならないのが、それはあくまで欧米人の価値観が生んだものであり、アボリジニの本来の生活文化とは程遠いものがあるのだ。

基本的には狩猟をするため、ノマドの生活様式であるのに加え、家族とのつながりが強く、個人主義の欧米社会とは正反対。収穫は家族並びに共同体でシェアしあう。一見白人の生活様式をとりながらも、彼らには伝統にのっとって生活する必要があるのだ。それを欧米的な価値観だけで甲乙つけるのは難しい。

かつてのような白人による「押しつけ」でもなく、かといって補償だけの「生活保護」でもない道がうまれるといいな、と私は読んでいて思った。ただし、それは彼ら自身がそのダブルスタンダードをしっかり自覚して、自分たちで解決策を生み出さないと変わらないのだろう。

シェア文化、家族のつながり、といったところはなんだかマーシャルにも似ていて、重なる部分もあった。

by jpt-in-Marshall | 2013-02-04 04:25 | 読書備忘録
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