Marshallsに日本語があるかぎり


2012~14青年海外協力隊員としてMarshall Islandsで日本語を教えていました。マーシャルのあれこれ、日本語教育事情などいろいろ綴っています。
by jpt-in-Marshall
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石巻ボランティア 【初日①】

夜23:30過ぎに川口を出発して東北自動車道をひたすら走る。

一時間ほどで佐野SAに着き、そのあとは夜が明けるまで眠るともなく目を閉じていた。

ついにボランティアに参加できるという高揚感と派遣前に体調を崩しやしないかという不安がごちゃ混ぜになっていたけれど、ここまで来てしまえばもうやるしかない。

朝4時ごろには空が白んで夜明けを迎えていた。

バスはいつの間にやら宮城県に入っていて、石巻市内のコンビニで朝食や身支度を済ませてから初日の活動が始まった。

まずは市内の高台にある日和山公園に向かう。

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あの自身が発生した直後に出された津波警報
この公園まで逃げてきた人は助かったという。
しかし下の方にあるやや低めの高台にいた人や、動画を撮影していた人々は波にさらわれてしまったという。

鳥居の向こうに見えるあの大きな橋も、もちろん壊れてしまった。

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下に見えるさらちも津波以前は家が連なっていた

(3.11前)
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                ↓
(現在)
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車の山
津波の後はこれらの車の山が近くの建物に衝突し、火災が起きた
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この小学校もそういった火災の発生した建物の一つだった。
しかし当時そこには避難してきた住民の方々がいらして、煙の中外に逃げることもできなかったという。

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被災地にいない私たちは簡単に「がれき」という言葉を使うが、被災地ボランティアにとってはこの言葉はタブーである。
なぜならそれらはあくまで住民の方々にとっては大切なものであるからだ。

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日和山公園を出てから女川町の病院へ赴いた
16メートルの高台にあるのだが、それでも津波はいともたやすく呑み込んだ。

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それは女川港の地形もあるのだろう。
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写真のように狭くなった湾岸が波の勢いをより強め、より高めてしまった。

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更地になってはいるものの、当時は家がびっしり連なっていた一角である。
3.11当時の話を初代代表の方に伺ったが、震災直後はとても悲惨な状況だったという。
どういう状況であったかはまた次の記事で述べるが、それが1年半たちこのような状態になった。
もちろんそれが復興を意味するわけではない。しかし人の力でここまでやったことを私たちは忘れてはならないのだ。

今では一見のどかで静かな田舎の風景である。
しかし所々あの日の痕跡が残っている。
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石巻市内へ戻る車中で感想を求められた。
正直なところ1年半の月日がたち、生々しさはさほど残っていないわけで私はどうしても実感することができなかった。
話を聴いたり、その地を目の当たりにしたことで学んだことはあっても、どこか冷静な自分がいた。
しかし、今こうして自宅に帰りブログ記事を書いていると、胸に込み上げてくるものがある。
それが何なのか、わからないのだけど・・・

(続く)

by jpt-in-Marshall | 2012-06-26 13:18 | これからの世界のことを考える
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